青山テルマの実家が金持ちって何?生い立ちエピソードは?

青山テルマのさんま御殿の画像

「そばにいるね」などの曲で大ヒットをした青山テルマさん。

実家お金持ちではないかという噂が出ていることがあったのですが、すごいところのお嬢さんという感じの環境で育ってきたということなのでしょうか?

実を言うと逆で貧乏生活をしていたみたいなんですよね。

この記事では、青山テルマさんの生い立ちについてまとめてみました。

目次

青山テルマの実家が金持ちって何?

歌手の青山テルマさんは、実家が金持ちだという噂が出ていました。

結論から言うと、真逆で貧乏生活だったのだとか。

でも、お金持ちだと言われるようになったのは、「そばにいるね」がヒットした頃に、大御所歌手から陰口を言われたことがきっかけで噂が広まるようになりました。

「けっこう大御所の人なんですけど、ちょいちょい嫌がらせ…じゃないですけどやられてて…陰口もまわってきて…」と話し、「あいつどうせ金持ちの娘やろ」と大御所から陰で言われていた

デイリー

なぜそんなことを言われてしまったのかは明かされていませんが、青山っていう名字で判断されたのでしょうかね?

では、生い立ちについてみてみましょう。

青山テルマの生い立ちエピソードは?

青山テルマさんは、トリニダード・トバゴ人のハーフの父と日本人の母との間に生まれたクォーターです。

ところが、テルマさんが2歳のときに両親は離婚し、母親と2人で奈良の田舎町で貧困生活を強いられることになりました。

離婚後は、テルマさんを育てるためにお弁当屋さんでアルバイトをしてなんとかやっていけていたそうです。

ただ、問題が発生しました。

それは、テルマさんの肌が黒いことで近所の子からイジメにあっていたそうなんです。

「黒人」「ゴリラ」などで呼ばれていたのだそうです。

当時の写真がテルマさんのInstagramにアップされていました。

そのため、奈良にある学校ではなく、わざわざ往復4時間かけて大阪のインターナショナルスクールに車で通わせていたのだそうですよ。

ただ、インターナショナルスクールに通わせるには学費が高額すぎて、母親の稼ぎだけでは払い続ける事ができなかったのだそうです。

ちなみに、学費は年間200万だったようですよ!

だから、「本場のアメリカに移住しよう!」という考えに切り替え、12歳の頃にアメリカロサンゼルスに移住することを決めました。

というか、学費は払えないけど移住はしようと思う考え方がすごいですよね。

ところが、うまくいかないものでアメリカに移住してからもアジア人として再びイジメにあってしまい辛かったと当時のことを話しています。

ガンガン無視されていたため日本に帰りたくて辛い思いをしていたのだとか。

ちょうど、10歳の頃から歌に興味がああり心の支えとして協会の聖歌隊に参加してゴスペルを学んでいたこともありました。

本格的に歌手を目指す目標ができてからは15歳の頃に日本に帰国しました。

その後、自分で学費を払いながら歌手活動と学業を両立していき、オーディションを受けながら築100年のボロアパートに住みながら生活を送りました。

そういう生活を送っていく中で、大学1年生のときに出した「そばにいるね」が大ヒットにいたったのだそうですよ。

なので、ボロアパートや学費が払えないなどのエピソードもあるようにテルマさんは、決して「実家がお金持ち」というわけではありません。

まとめ:青山テルマの生い立ち

青山テルマさんは、「実家がお金持ち」という噂がでていることがわかりました。

ですが、幼少期の頃は学費が払えなかったり、学生時代も築100年のアパートに住んでいたことなどもわかりましたね。

なので、お金持ちだという噂はまるっきり事実ではありません。

すごく努力されてこられたのがわかりますね。

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