【フジモリ大統領】なぜ逮捕された?功績・罪は何?恩赦で釈放?現在は

ペルーの元大統領にアルベルト・フジモリ大統領という日本人の方が気になりますよね。

どうやら、逮捕されていたようなのですがなぜなのでしょうか?

病気で入退院されていたようで恩赦で釈放されたようですね。

この記事では、フジモリ大統領が逮捕された理由について紹介します。



フジモリ大統領とは?

名前:アルベルト・ケンヤ・フジモリ

日本名:片岡謙也(かたおかけんや)

旧姓:藤森

生年月日:1938年7月28日(79歳)

在職:1990年7月28日~2000年11月17日

ペルー共和国の第91代大統領だった方です。

両親が、熊本県飽託郡河内村(熊本市西区河内町)出身なのですが、1934年にペルーに移住しています。

1938年にペルーの首都リマのミラフロレス区の仕立物屋を営む父(直一)とムツエさんの元に生まれています。

1962年にラ・モリーナ国立農科大学で数学の講師に就き、助教授から成就へと昇進していきます。

1984年には国立農業大学の理学部長に就任し大学総長に任命されます。

また、ペルーの国有テレビの討論番組「オンセルタンド」で約1年半の間(1987年から1988年)、司会を務められていたようですね。

1990年い大統領選挙に新党変革90を結成し世界的作家マリオ・バルガズを破って当選します。ダークホース的な感じで参加したのですが、ライバルであるバンガスに対して疑いの目があったことが成功した理由ではないかと言われています。



【フジモリ大統領】功績は?

フジモリは、大統領に就任すると大規模な経済改革を実行し、国内の経済に関する整理や法律の改正などや額国資本の誘致など積極的に行ったため、ペルーの経済状況を劇的に変えてようです。

かなり頭がキレる方のようで、さすが数学の学者だなあと感じますね。

この功績は、後にフジショックと呼ばれ、2000年11月まで10年間大統領を務められています。

ですが、フジモリ大統領は、逮捕や投獄されてしまうんですよね。

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【フジモリ大統領】なぜ逮捕された?

大統領就任中に人権侵害めぐり殺人や誘拐の罪で25年の刑に服役されています。

フジモリ大統領は、貧困者を積極的に支援する規制や法律を作ったのですが、その制度に反対だった上層階級が貧困の差がなくなることを嫌い悪者として仕立て上げられます。

同時期に、アメリカからも言うことを聞かないフジモリ大統領も追い出したいということから両者が協力し犯罪者に仕立て上げられたようですね。

民間人殺害に関しても、兵士個人の問題なのに、起訴されたようです。

お世話になった下層階級の国民は、フジモリ大統領は悪くないと意見したのですが大企業や政治家の声の方が強く悪者として扱われてしまいます。

2000年には、日本に亡命したのですが2007年にペルーに強制送還されそのまま逮捕となっていますね。

恩赦で釈放?現在は?

25年の禁固のうち、10年にも渡って収監されたことなのですが近年は体調を崩されているようです。

現在、79歳ということは、69歳のときに収容されて満了するとなると94歳になってしまいますよね。

体調を崩し、不整脈や血圧低下などでICU(集中治療室)に搬送されています。

舌がんの手術を6回、腰椎ヘルニアや高血圧など収容されてからも搬送されることが多いですし年齢も年齢なのでキツかったのでしょうね。

24日の夜に、クチンスキー元大統領が緊急の閣議を開き、フジモリ元大統領に対し、功績をたたえ恩赦を与えることを決めたようです。

フジモリ氏も嬉しかったでしょうし最高のクリスマスとなりましたね。

テロを撃退したり学校を作ったり、ペルーをよくしてくれたことからまた大統領になってほしいとまで言われているので、ペルー市民にとっても嬉しいプレゼントになったでしょう。

まとめ

今回は、フジモリ元大統領が逮捕された理由や現在について書いてみました。

ペルーに功績を残された日本人ということですが、収容されたり病気になったりして自由を奪われたわけですが恩赦を受けることができて本当に良かったですね。

また、クリスマスに報告を受けたということで最高のプレゼントだったのだと思いますし感動しましたね。