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瀧川鯉斗の若い頃(昔)はヤンキーだった?総長時代の破天荒エピソード

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イケメン落語家の瀧川鯉斗(たきがわこいと)さん。

今は爽やかな印象がありますが、昔、暴走族をしていた過去があるようです。

しかも総長をしていたとのことで破天荒なエピソードが話題になっていました。

この記事では、瀧川鯉斗さんの昔の写真や総長時代の破天荒エピソードについてまとめてみますね。

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目次

瀧川鯉斗の若い頃(昔)はヤンキーだった?

落語家の瀧川鯉斗さんは昔、暴走族の総長をしていたことがありました。

地元名古屋では、100人以上が所属する暴走族「天白スペクター」というチームの第12代目の総長を任されていました。

どうして総長に上り詰めたかというと、以前本人がその理由についていくつか話していました。

  • 運転テクニックが高かったこと
  • 暴走活動への参加頻度が高かったこと
  • ケツまくりという部隊の最後尾をずっと担当していたこと

特にケツまくりというポジションは、最後尾ということで警察に捕まる確率が1番高いところのため、「あいつは根性あるなあ」と一目置かれる場所なのだそうですよ。

総長時代の写真を見てもわかるように、堂々としているというか怖いもの知らずな雰囲気が伝わってきますよね。

そんな、瀧川鯉斗さんは総長時代ってすごい破天荒なエピソードがあったので紹介します。

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瀧川鯉斗の総長時代の破天荒エピソード

滝川さんは、グレ始めたのは小学校5年生くらいからで、13歳の頃には金髪にし暴走族の人たちと付き合い始めていました。

中学の途中からバイクにもハマっていてロン毛に金髪姿で夜はバイクに夢中になっていたようです。

昼は大好きなサッカーをして、夜はバイクという生活スタイルで授業中は寝るのが日常だったのだとか。

高校にも進学するのですが、1日で退学となってしまいました。

退学となってしまった理由は、タバコが見つかったことが原因でした。

入学当日に先輩から生意気だと目をつけられ50人相手にケンカをし、ボコボコにされてしまった後に、タバコが見つかったからのようです。

退学を期に、どっぷりと暴走族にのめり込み総長にまで上り詰めるほどになったのだそうです。

暴走族としてはかなり実力が認められていたものの、17歳の頃に引退されています。

滝川さん自身も「ここには将来はないな」と感じたことが理由なのですが、暴走族自体も人の回転が早く、「俺、やめる」と仲間に伝えてから、3日後には引退できるのだそうです。

1つ下の後輩に総長を託し、滝川さんは次なる目標に進むことを決意されるんですよね。

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瀧川鯉斗が落語家になった理由

17歳で暴走族を引退した瀧川鯉斗さんは、実は最初から落語家を目指していたわけではなく俳優志望だったんですよね

本気で俳優を目指していたようで、思い立ったらすぐ行動に移し着替えと所持金5、6万円を持って名古屋から東京に上京されました。

その後、アルバイトの求人しを買って、新宿のレストランで住み込みで働きながら俳優を目指していました。

住み込みで働いていたオーナーに「役者になりたい」と相談をした時に、「それなら落語くらい見ておけ」ということから、その店で月一で開かれていた落語会を見ることになり現在の師匠である瀧川鯉昇(たきがわりしょう)と出会います。

その時、「芝浜(しばはま)」という演目をされていたのですが、一人で何役も演じる姿を見て感動し「弟子にしてください!」と懇願したそうです。

そこから、1年以上も師匠の元に通い鯉斗(こいと)という名前に決まり2005年春に前座として寄席の楽屋入りすることになりました。

今では、バラエティ番組やYoutubeなどでも活躍され、元暴走族という肩書きも相まって注目されています。

まとめ:瀧川鯉斗の昔

落語家の瀧川鯉斗(たきがわこいと)さんは、実は昔暴走族をしていたということが話題になっていました。

総長時代の写真はかなり、今と印象が違って金髪でケンカに明け暮れていたのだとか。

現在は、寄席だけでなくバラエティ番組でも活躍され今後も注目の落語さんですね。

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