多くのバラエティ番組で活躍されているナインティナインの矢部浩之さんなんですが、実家が貧乏だったということが話題になっていました。
実は、矢部さんのご実家には、多額の借金があったようです。
詳しい内容については、2012年出版されている「矢部家」という本に詳しいことは書かれていますが、どうして、借金を背負ってしまったか気になるところ。
この記事では、矢部浩之さんの両親が借金をした理由や実家の貧乏エピソードについて紹介します。
矢部浩之の両親に借金があった理由
矢部浩之さんのご実家は、矢部さんが小学生に上がるくらいから借金を背負ったことがきっかけとなってあまり裕福ではありませんでした。
家族構成なんですが、お父さんの幸男(ゆきお)さんは、元々トラックの運転手で、お母さんの富美枝(とみえ)さんは専業主婦、矢部さんは3人兄弟の次男で2歳年上の兄と14歳離れた弟がいるという家庭になります。
どこにでもいるような感じ家庭なのですが、ご両親には2000万円以上も借金ができてしまいます。
「僕が小学2年の時に父・幸夫が借金の保証人になっていたことで、借金取りが家にくるようになったんです」と美幸さん。その日から父はたまにしか家に帰ってこなくなったという。
女性自身
借金ができた理由は、矢部さんが小学生になる頃に、お父さんが知人の連帯保証人になったことが原因で借金を背負わせられたからです。
※現在、その借金は2010年頃くらいに完済しています。
矢部浩之の実家の貧乏エピソードも紹介
矢部さんの幼少期の頃は、借金を秘密にしていたということもあって、何不自由なく物を与えられて育てられていたようです。
ただし、子供時代にご両親の借金返済のためにもらっていたお年玉や高校時代のアルバイト代も全部返済に当てられていました。
借金返済のために母親は、近くのガラス工場に働きに出ることになります。どうやら、お給料は7万~8万円くらいだったようですよ。
ご両親は、子どもたちに心配をかけたくないということで、借金のことは内緒にされていました。
借金のことを知らなかった小学生の矢部さんは、クリスマスの夜に黒いスーツを着た取り立て屋さんが自宅を訪れた時に「黒いサンタさん来た!」と思っていたようですよ。
矢部家では子供時代にもらっていたお年玉や高校時代のアルバイト代も借金の返済に当てていました。
食事についても、当時は夕食は「ウインナーとご飯」「矢部家特製カレー」「卵焼きとご飯」の3品が定番で節制していたようです。
特にカレーについては、カレールーがあまり多く使えないということから半分のルーに水増しをして『インド風やで』といって水で薄めて出していることもしばしば。
たまに、タコ焼きをすることがあってもタコが買えないということから、チクワを『これがタコや! 』と言って出てくることがあったり、おじいちゃんがどこかで捕まえてきたニワトリを毛をむしり、湯につけて、から揚げとして食べたこともあったのだとか。
それでも矢部家では、食事のマナーについて厳しく『ごちそうさま』が言えなかったり、箸の持ち方などは厳しく指導されて育ったようですよ。
貧乏ながらにして、きちんと育てられたということですね!
矢部浩之にご両親にお金を借りに来ることもある
ナインティナインとしてブレイクした矢部さんの元には、ご両親が今でもお金を借りに来ることもあるのだそうです。
実際、ご両親の借金についてもほとんどが矢部さんの収入から返済されています。
ただ、借金を返したことによって父親の気が張っていたのがなくなってしまい、生きる張り合いが無くなって弱くなったように思えたのだとか。
有名になってからは、父親のたかりグセがついてしまったようで、毎月30万円を矢部さんの銀行口座から勝手に引き出したりされるようになります。
どうやら、「愛人に貢いでいた」という情報もあるようです。
一度、仕送りを断ったことがあって『誰がここまで育てたと思ってんのや。勘当や!』と言われたこともあったようですが、数ヶ月後には矢部さんのマンションに訪れ、土下座してお金を借りに来ることもあるようです。
大阪から7時間かけて来た2人の目的は、もちろん借金の依頼。「部屋に上げて、いきなり土下座されて。『すまん、全部お父ちゃんが悪い。最後や、ほんまに最後や。貸してくれ』」。両親の姿に、矢部も「泣きそうになった」というが、今度こそ「最後」という約束で金を渡すことに。
スポニチ
この時、矢部さんが住んでいたマンションの隣に一流ホテルにご両親を宿泊させたのですが、ルームサービスで「フィレステーキ」を頼んでいたのだとか。
『無茶苦茶だけど、腐っても親』ということで、矢部さんは許しているようです。
収入にも余裕があるということなのでしょうね。
まとめ:矢部浩之の両親の借金
矢部浩之さんは幼少期から貧乏生活を送ってきたことがわかりました。
借金については、知人の連帯保証人がきっかけだったようです。
今でもお金を借りに来ることもあったり、借金の返済も矢部さんが行ったということもわかりましたね。
親孝行ですし、「腐っても親」という矢部さんの懐の深さも垣間見えましたね。
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