
肥後克広・上島竜兵・寺門ジモンのトリオグループとして知られている「ダチョウ倶楽部」。
実は、活動開始した時は4人組だったんですよね。
4人目の方は、電撃ネットワークで活動されている南部虎弾(なんぶとらた)さんなのですが、どうして脱退したのか気になっている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
この記事では、ダチョウ倶楽部の元メンバーである南部虎弾さんが脱退した理由について紹介します。
【ダチョウ倶楽部】活動開始時は四人組グループだった
3人トリオとして知られているダチョウ倶楽部は、活動開始時点で4人グループとして活動を開始しています。
4人目については、電撃ネットワークで活動されている南部虎弾(なんぶとらた)さんになります。
ダチョウ倶楽部の初代リーダーは、肥後さんではなく南部さんだったようです。
4人としての活動は、1985年から1987年までの約2年間であるため、4人グループということはあまり知られていませんよね。
そもそも、85年にダチョウ倶楽部として活動していますが、その前からショーパブなどで「キムチ倶楽部」という名前で活動をされていました。
ただ、『キムチ倶楽部なのに韓国人がいないとややしくて損だ』ということから改名をすることに。
リーダーだった南部さんが「Tの時代だよ、たけし、タモリ、所ジョージ、鶴太郎」など頭文字がTの方がブレイクしていたということから、『ダチョウ倶楽部ってどうかな?』ということを提案されたそうです。
※正確にはダチョウ倶楽部はTではない。
その後、1985年からダチョウ倶楽部として活動を開始しました。
ただ、リーダーだった南部さんは1987年に脱退し、その後、電撃ネットワークとして活動をすることになりました。
【ダチョウ倶楽部】南部虎弾が脱退した理由
南部虎弾さんがダチョウ倶楽部から脱退した理由は、やりたい芸の方向性の違いからでした。
きちんとした芸をやりたい3人に対して、変わった芸をやりたい南部さんとの間で、考えがすれ違ってしまい、実質クビという形で脱退となったようです。
その事について触れた記事が過去に掲載されていたことがあって、こんなエピソードがあったようです。
「南部はもともとダチョウ倶楽部のメンバーでしたが、上島竜兵の家に電話をかけ『ビー玉を飲めるか?』と訊くなど、エキセントリックなキャラクターすぎるためメンバーを脱退。
引用元:エキサイトニュース
現在の電撃ネットワークのネタを見る限り、ダチョウ倶楽部とはちょっと方向性が違うため、やりたい芸が異なったということが脱退のきっかけだったのでしょうね。
ちなみに、電撃ネットワークのパフォーマンスといえば、缶を頭につけて一気飲みしたり、割り箸をお尻で割ったりと過激なものが多いです。
その点、ダチョウ倶楽部は体を張る芸ではあるけど過激とまでは言えない感じの芸ですよね。
きちんとした芸でやっていきたかった3人と、僕は外れていってクビになったのが本当の話
90年に電撃ネットワークを結成。南部は体を張った芸にシフトした。
引用元:東スポ
つまり、3人と南部さんで考え方が異なったため、クビになったということなのでしょう。
【動画】4人組グループ時代tのダチョウ倶楽部
南部さんがダチョウ倶楽部として活動していたのはわずか、2年ほどだったのですが、貴重な4人グループ時代の動画も発見できました。
こちらに、4人時代の映像も載せておきますね。
まとめ:ダチョウ倶楽部の南部虎弾
ダチョウ倶楽部は元々、4人で活動されていたグループであることがわかりましたね。
電撃ネットワークの南部さんが2年ほど活動を共にしていて、かつてはリーダーをされていたことがわかりました。
3人とはやりたいネタが異なったということから実質クビになってしまって脱退したようです。
それぞれ、別々の道でブレイクされているので脱退されたことがプラスになったように思えました。
参考になれば幸いです。