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PL学園の野球部が廃部になった5つの理由!不祥事や事件などまとめてみた

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高校野球・甲子園大会でも8強と言われていた大阪のPL学園

甲子園大会で優勝を果たしたこともあった名門校なのですが、いつしか野球部が廃部になってしまったんですよね。

  • 野球部が廃部になったのはなぜ?
  • 野球部はいつから廃部なの?

    などさまざまな疑問があると思います。

    この記事では、PL学園の野球部が廃部になった時期や理由についてまとめてみました。

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    目次

    PL学園の野球部は廃部になってるって本当?

    PL学園-廃部理由1

    大阪の名門・PL学園は、2016年に休部が決まっており、2017年に大阪高野連から脱退しているため事実上の廃部となっています。

    PL学園と言えば、1956年4月に創部して以来、春夏の甲子園で7度にわたる優勝(78年、81年、82年、83年、85年、86年、87年)で甲子園の8強の1つとして知られていました。

    PL学園の野球部の成績

    1956年:野球部が創部
    1962年:甲子園初出場
    1978年:甲子園で初優勝
    1981年:優勝
    1982年:優勝
    1983年:優勝
    1985年:優勝
    1986年:優勝
    1987年:優勝
    2015年:新入部員の募集を停止
    2016年:野球部の休部
    2017年:大阪府高野連から脱退

    1983年~86年までは、清原和博さんと桑田真澄さんのKKコンビが夏の甲子園で功績を残しており、高校野球史上最強のチームということも絶賛されていました。

    そんな、甲子園の常連だった名門のPL学園は、なぜ休部となってしまったかというといじめなどの不祥事が明らかになったためでした。

    休部となってからは、PL学園のOBでKKコンビの桑田真澄さんを中心に「PL学園の野球部復部活動」を行っており、今後の部の復活が検討されています。

    近い将来、PL学園が甲子園に戻ってくるかもしれません。

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    PL学園の野球部が廃部になった5つの理由

    PL学園が廃部となってしまったのは、発覚した5つの不祥事がが関係しています

    実はPL学園なんですが、【3年神様、2年平民、1年奴隷】という格言が過去に存在していて厳しすぎるルールが発展して、いじめや暴力などが横行していた時期がありました。

    • 笑顔禁止
    • 嘘禁止
    • デート禁止
    • 許可無く外出禁止
    • シャンプーの使用禁止
    • 休憩時間以外で水飲むの禁止
    • 移動中のバスで寝るの禁止
    • 1年生同士での私語禁止
    • お菓子は22時から消灯23時までの1時間以外禁止

    廃部理由:上級生の暴力事件

    PL学園-廃部理由2

    1つ目は、2001年に発覚した3件の部内暴力でした。

    上級生から下級生に暴力を振るっていたということが発覚し、6ヶ月間の対外試合禁止処分を受けました。

    実はPL学園の野球部は、研志寮(けんしりょう)と呼ばれる野球部専用の学生寮が存在します。

    寮内では、上級生と下級生が一緒に部屋をともにするのですが、上下関係が厳しく、上級生のお世話をしなければならない状態だったようです。

    身の回りの世話として、ユニフォームの洗濯や食事の用意、マッサージなど付き人のような役割を常にしなければなりませんでした。

    古くから伝わるルールが、根付いていて理不尽なことで怒られたりすることもあったようです。

    廃部理由:監督の暴力事件

    PL学園-廃部理由3

    2つ目は、2008年に発生した藤原弘介監督が暴力事件です。

    高野連によると、2008年9月7日にグラウンドで部員2名に対して蹴って指導をしていたとういことが学校へ匿名で連絡があったそうです。

    このことが発覚し、藤原監督は2008年に謹慎処分と解任をされました。

    PL学園(大阪)でも藤原弘介監督(34)が部員への暴力を理由に、8月中に解任されていたことも分かった。

    SPORTS BULL

    ちなみに、藤原監督はメジャーリーガーとして活躍しているマエケンこと前田健太選手を育てた監督として知られています。

    廃部理由:部内暴力と喫煙発覚

    3つ目は、再び発覚した部内暴力と喫煙になります。

    2011年12月にPL学園の1、2年生部員の5名に喫煙が発覚。

    甲子園常連校のPL学園(大阪)は1、2年生部員5人の喫煙が判明。

    日刊スポーツ

    注意した2年生部員が喫煙した1年生部員に暴力をふるったということで対外試合禁止1ヶ月を言い渡されました。

    調べてみると、野球部以外でもPL学園には喫煙をしていた生徒の報告もTwitterで出ていました。

    廃部理由:暴行で救急車出動

    PL学園-廃部理由4

    4つ目も、部員による暴行事件です。

    2013年2月23日に部内暴力が発覚し、春季大会に出場を辞退することになりました。

    部内暴力に関しては当時3年生だった4名が、1年生に対して計画的ないじめを行ったというもの。

    いじめを受けた部員は、痙攣を起こしていたことから救急車を呼ぶ自体となったそうです。

    1年生部員は暴力により痙攣を起こして救急車で搬送されるなどしたらしい。

    ドラフト会議

    これを受けて、高野連から6月のの対外試合禁止処分を受け、自体を重く受け止めて情状酌量の余地なしというを言い渡されていました。

    これが結局最後の引き金となって、廃部になったのかもしれません。

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    廃部理由:死亡事故の発覚

    PL学園-廃部理由5

    そして最後に、PL学園学園は過去に野球部でいじめによる死亡事故があったことが後に発覚しました。

    事件が発生したのは1986年6月。

    当時3年生だった部員が2年生に対して、敷地内の池にスリッパを投げ込んでそれを取ってくるように命令したのだとか。

    その命令に部員1人が潜って取りにいったところ、上がってこなかったため3年生は慌てたそうです。

    たまたま近くにいた桑田真澄の父親に助けを求めてレスキュー隊を呼んだのですが帰らぬ人となってしまいました。

    その当時から、他の2年生部員が3年生に対していじめや不祥事について抗議を行ったそうなのですが、まったく変わらない状態がずっと野球部内で続いていったそうです。

    結局、PL学園の強さにも繋がった、厳しい上下関係・ルールがいつの間にか、理不尽ないじめなどとして後世に伝わってしまったということなのでしょうね。

    ルール自体が古く、時代に合わなくなってしまったということから、いじめを根絶するために野球部が休部となり事実上の廃部となったということなのだとわかりました。

    野球部復活に当たってはいじめなど再発しないと願いたいですし、またKKコンビのようなブームも作ってほしいですね。

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